第12集:武佐から愛知川へ

西宿交差点で国道8号と分かれ武佐宿へと向かう。道の左手の空き地に見える大きな楠は伊庭貞剛なる人物の屋敷跡とか、伊庭貞剛なる人物、明治以降の近代住友の2代総理事という。
武佐の町並み
その屋敷跡の先の少し奥まった所に若宮神社が見える。正面を走る近江鉄道の踏切を渡りすぐ右に入り、駅前を左に曲がった先が西高札場、すでに武佐宿内に入ったことになる。近江鉄道の南側には先程迂回した近江八幡工業団地が広がっているのだが、駅前からまっすぐに延びて行く中山道はどこか落ち着いた佇まいを見せている。
愛宕山常夜燈
高札場跡、本陣跡、問屋跡・・・宿内の主要な建物のあった場所には小学生の卒業制作として作られた案内板が立てられ旅人はその一つ一つを確認しながら先へ進む。

武佐駅から少しのところに西の高札場跡、愛宕山の常夜燈が残る。愛宕山の常夜燈はもう一つ、すぐ先の右手、松平周防守陣屋跡の角にも残る。武佐宿を含むこの辺り二万二千石余が武蔵国川越藩領であったのだという。川越は江戸防備の要衝の地、老中職を努める者が次々と封じられてきたが、1867年(慶応3年)老中となった松平(松井)周防守康英が奥州棚倉から入り明治を迎える。

さらに進んで宿を横切る道筋の角には道標が残る。左へは安土、右は伊勢、八日市へ。

旅館中村屋
右手の料理旅館中村屋はかつての旅籠、その向かいに本陣跡の門が残り、その先の伝馬所跡の郵便局には書状集箱が設けられている。

宿役人大橋家跡を過ぎ国道21号との交差点にでる。右手にあるレトロな建物は元警察署、その先の左手には脇本陣跡が武佐町会館となっている。さらに先へ進み役人宅平尾家を過ぎると宿の終わりも近い。

宿内の道筋をほぼまっすぐに進んできて西の高札場跡の標識から1km程だろうか、牟佐神社の先に大門跡の標識を見るとそこが東の入口、次の宿愛知川へと進む。

武佐宿を出て途中の小さな川の傍らに泡子地蔵尊御遺跡の碑を見つつまっすぐに進む。住宅が途切れると水田の向こうを新幹線が追い抜いてゆく。やがて左手に老蘇の森が見える頃中山道は緩やかに左へと曲がって行く。

老蘇の森
森に沿って進み国道8号に突き当たる。多くのガイドブックがここで中山道は一旦国道に合流するとしている。ただ一つ、近江歴史回廊推進協議会作成の地図ではここを観音寺城趾方向へ直進するように示している。ここはあえてまっすぐ進んで見る。

戦国時代屈指の山城である観音寺城も1568年(永禄11年)織田信長の上洛戦の途上であえなく落城することとなる。それは近江国守護職佐々木六角氏の事実上の滅亡でもあった。そして勝者である信長の城がこの北側、当時は琵琶湖に突き出た半島部の小山に完成するのはまた後の話しとなる。

観音寺城趾
観音寺城趾、繖山(きぬがさやま)に突き当たり右手に進む山裾に沿って進みやがて先程分かれた国道8号に合流する。

国道の少し手前に残るのが清水鼻の名水。愛知川宿まであと一里ほど、昔の旅人もここで一服したのだろうか。