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| 武佐の町並み |
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| 愛宕山常夜燈 |
武佐駅から少しのところに西の高札場跡、愛宕山の常夜燈が残る。愛宕山の常夜燈はもう一つ、すぐ先の右手、松平周防守陣屋跡の角にも残る。武佐宿を含むこの辺り二万二千石余が武蔵国川越藩領であったのだという。川越は江戸防備の要衝の地、老中職を努める者が次々と封じられてきたが、1867年(慶応3年)老中となった松平(松井)周防守康英が奥州棚倉から入り明治を迎える。
さらに進んで宿を横切る道筋の角には道標が残る。左へは安土、右は伊勢、八日市へ。
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| 旅館中村屋 |
宿役人大橋家跡を過ぎ国道21号との交差点にでる。右手にあるレトロな建物は元警察署、その先の左手には脇本陣跡が武佐町会館となっている。さらに先へ進み役人宅平尾家を過ぎると宿の終わりも近い。
宿内の道筋をほぼまっすぐに進んできて西の高札場跡の標識から1km程だろうか、牟佐神社の先に大門跡の標識を見るとそこが東の入口、次の宿愛知川へと進む。
武佐宿を出て途中の小さな川の傍らに泡子地蔵尊御遺跡の碑を見つつまっすぐに進む。住宅が途切れると水田の向こうを新幹線が追い抜いてゆく。やがて左手に老蘇の森が見える頃中山道は緩やかに左へと曲がって行く。
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| 老蘇の森 |
戦国時代屈指の山城である観音寺城も1568年(永禄11年)織田信長の上洛戦の途上であえなく落城することとなる。それは近江国守護職佐々木六角氏の事実上の滅亡でもあった。そして勝者である信長の城がこの北側、当時は琵琶湖に突き出た半島部の小山に完成するのはまた後の話しとなる。
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| 観音寺城趾 |
国道の少し手前に残るのが清水鼻の名水。愛知川宿まであと一里ほど、昔の旅人もここで一服したのだろうか。
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