第8集:山科追分から大津へ

追分の集落を過ぎると旧道は国道1号に吸収されて逢坂峠に向かって進んで行く
逢坂峠を越える
。国道の向こう側を並行して走る京阪電鉄京津線、かつて街道はこの鉄道と共に大津に向かって峠を上がっていった。今はその間を疾駆する自動車が間を隔て、地下鉄東西線の開業、乗り入れを期に導入された色鮮やかな電車が大津へと急ぎ足で走り抜けて行く。

やがて道の右手は月心寺の寺域となっている。月心寺手前までは街道の左手が滋賀県、右手はいまだ京都府という行政区域であったものが、この辺りからいよいよ本格的に滋賀県入りとなる。

走井の井

さて街道の旧蹟の一つ、「走井ノ井」。今も変わらぬ清らかな水をたたえる井戸の傍らにはいつも季節の花が飾られ、ここを訪れる旅人を待つ。

京阪線大谷駅手前で左手に残されている旧道に入るべく歩道橋を渡る。歩道橋を下りたところには蝉丸神社分社。僅かな間の旧道を抜け国道1号に戻ると、国道の傍らに建てられた逢坂関跡の示す碑の先で大津へ向かっての下りが始まる。

頭上を名神高速道路が横断し、蝉丸神社上社の赤い鳥居の前を通り抜ける。

蝉丸神社上社

旧街道はその先逢坂1交差点の二股で国道1号と分かれ国道161号となって大津市内へと入って行く。その交差点の左側、京大地震研究所の裏には東海道本線旧線の逢坂山隧道の遺構が今も残されている。

京阪線が右手から左へと街道を横切る踏切を渡る。

蝉丸神社下社

左手の蝉丸神社下社は鳥居と本殿の間を電車が走る。もうこの辺り峠道は終わり大津の街中へと入っている。左手の上栄町駅を出て来た京阪線の電車はこの先の併用軌道を自動車に混じって浜大津駅へゆっくりと進んで行く。

浜大津駅へ向かって電車と共に進む街道は、途中京町1交差点かつての札の辻で京阪線と別れて右折する。

京阪電車

両端の街路灯に「旧東海道」の文字が並ぶ中を街道はまっすぐ東へと進んで行く。

1891年(明治24年)5月の大津事件の現場は交差点を曲がってすぐの辺り、日本中を震撼させた大事件の跡も今は洋品店の店先にそれを記す石碑がひっそりと建てられているのみ。

街道から少し北側に歩くと琵琶湖畔に出る。街道と交差する道の先に湖岸沿いの建物が見える。往時は街道のどこからも湖の様子が望めたのだろうか。

JR大津駅、滋賀県庁などを過ぎ、かつては東海道本線であった京阪石山坂本線を渡り義仲寺に至る。

義仲寺

「木曽殿と背中合わせの寒さかな」俳聖芭蕉、ここにねむる。

義仲寺を後に先へ進む。途中、鉤の手に折れる膳所城北総門跡を抜け石坐神社へ。もうこの辺りかつては膳所城下ということになる。神社を過ぎ突き当たりを左に、スイミングスクールの手前を右に曲がって小さな橋を渡る。突き当たり東海道は右、南へと進路を変える。

いったん南へ向かって進みすぐ響忍寺前を左に曲がりその先を今度は右へと曲がる。左の路地を入ると琵琶湖畔、近江大橋もすぐ近くに見える。

琵琶湖

この先は南の方角にまっすぐ進む。途中、右手奥に膳所神社を見る交差点は膳所城大手門跡。もうしばらく進んで京阪線中ノ庄駅手前の交差点を左に入り突き当たりを右へ。京阪瓦ヶ浜駅で京阪線を横切って突き当たりまで進む。左に曲がると若宮八幡神社、ここで再び京阪線を渡る。みちなりに右手方向に進路を変えてゆくその角が膳所城勢田口総門跡。

前方にNECの工場が見える。工場脇を通り、左手に粟津中学校などある辺りは近江八景の一つ、「粟津の晴嵐」。かつて松並木越しに琵琶湖を望んだ景勝の地も今は昔。工場の敷地に沿って進み小さな川に架かる橋の手前を右に入る。

正面にJR石山駅、東海道はまっすぐ進むが今では駅のホームが行く手を阻んでいる。東海道線開業当初はどのようであったのだろうか。踏切で横断していたのでは、などと想像を巡らしつつ橋上の改札口へと通じる階段を上がる。

JR石山駅南口駅前広場。京阪線が正面を横切り、左手奥の京阪石山駅に停車する。東海道はその駅手前の石山商店街へと入り、すぐ丁字路を右折する。

石山商店街、ここまでの大津市内の東海道沿いでは最も賑わっているといってよいだろうか。その街中をまっすぐ進み、長徳寺前の交差点を左に曲がり京阪唐橋前駅の踏切を渡ると前方に瀬田の唐橋が見えてくる。