第6集:伏見から墨染、勧修寺を経て山科追分へ(付:墨染から洛中へ)

伏見の街、四辻の四つ当りを東に歩き京阪線を越えて一つ目の通り、京町通りを北へ向かう。戊辰戦争時の弾痕が柱に残る料亭魚三楼を過ぎると大手筋通りに出る。さらに北へ京町通りはまっすぐ北へ延びている。京阪と近鉄がならぶ丹波橋駅と過ぎると京阪線は右へ離れてゆき、一方、近鉄線が左へと進路を取り、京町通りを横切る。近鉄線の高架下の先、国道24号を横断し墨染郵便局を右に曲がると琵琶湖疎水に架かる橋の向こうの京阪墨染駅が見える。踏切を渡り左折するとすぐに藤森神社へと右折する丁字路となる。
藤森神社
北側の角にあるのはどこか趣のある風呂屋。曲がってすぐに藤森神社の鳥居が左に見える。京都教育大学前の登り坂を進み、JR藤森駅手前を左折する。線路に沿って少し進みJR奈良線の跨線橋を渡り北向きの路地を入って行く。突き当たりを右に、すぐ左へと曲がって路地を下ると府道35号大津淀線、右、大津方面へと歩を進める。
この当たりから勧修寺手前までは東海道本線開通当時の旧線跡でもある。深草谷口町交差点方向に西から進んでゆくと交差点に北西方向から合流してくる道がある。府道はこの道となだらかな曲線を描いて右手に進んでいる。東海道本線旧線跡と推定するのだが真実はどうなのだろうか。
一方、交差点を左前方には府道から分岐するように裏道が延びている。こちらが鉄道よりもさらに昔の道、すなわち京街道の名残なのだろうか。
深草谷口町交差点で別れた二つの道はその先の大岩神社手前で合流した後、左へカーブして行き名神高速道路と併走して勧修寺方向に向かう。
名神高速道路
大宅一里塚
東海道本線は1921年(大正10年)に輸送力増強のため現在のルートに移り、線路址の築堤は長い間放置されたままだったという。その線路址に名神高速道路が1967年(昭和42年)開通している。
直進する名神高速道路から右に府道が別れて行くと勧修寺の裏手に出る。塀を隔てた勧修寺の庭園は豊臣秀吉の伏見築城に伴う新道建設でその一部を削られたという。この道がまさにその道ということなのだろう。
勧修寺
勧修寺交差点を左折して寺の正面にでる。門前の隅、道標にみちびかれて右に曲がる。勧修寺門前をまっすぐ東に進むと地下鉄小野駅。さらに進んで醍醐からきた旧奈良街道と合流する。右に曲がれば醍醐、六地蔵を経て観月橋に至る。
左折して山科へ向かう。
右に緩く曲がって行くと先程、醍醐寺と随心院の間で横切った奈良街道に再び出会う。左折して名神高速道路方面へと進む。
名神高速道路の下を抜けた先に大宅一里塚が左側に残っている。一里塚を後にまっすぐ先へ進むと今度は東海道新幹線の高架橋、そのすぐ先に国道1号が走っている。国道の下の地下道を通り先に進む。山科川を渡ると再び回り込んできた国道1号に。疾走する自動車の先に街道の続きが見えている。国道を渡り、坂を上がって行くと正面に音羽病院。病院前を右へ進んだ後、左に曲がってゆくと名神高速道路の京都東インターチェンジが見えてくる。高速道路の先へ進む。もうすぐそこに山科の追分が待っている。

一方、京阪墨染駅からまっすぐ北に進むと、途中に伏見稲荷、東福寺などを経て洛中へと入る。
左手を京阪線が並行して走り、その線路との間には琵琶湖疎水が流れている。少し進むと直違橋、その先を名神高速道路が横切る。その高速道路下に京阪藤森駅が見える。京阪線藤森駅から次の深草駅まで800m、その先で右手から近づいてくるJR奈良線の踏切を越えると稲荷駅。東海道本線開業当時のランプ小屋が今も残る。
伏見稲荷から北へ、本町通十条の先、右手の奥に東福寺。
九条大路と東大路通を結ぶ陸橋を潜ると前方にはJR線。線路を渡る歩道橋の上に立つと右手に東山トンネルが見え、東京へ向かう新幹線が吸いこまれて行く。
JRの北側に出て本町通を進む。耳塚、その奥に豊国神社。豊臣政権時代には方光寺大仏殿があった辺りとなる。
そしてほどなく五条通に突き当たると左に五条大橋が見える。

伏見稲荷 東福寺