第5集:伏見から六地蔵、醍醐寺を経て山科追分へ

四つ辻の四つ当りを東に進み、京阪線の踏切を渡る。さらに近鉄線の高架橋下を通り右手に見えてくる伏見奉行所跡の市営桃陵団地は現在もその町名は西奉行町と東奉行町。西奉行町と奉行前町に挟まれた道を南に向かうと平戸橋に出る。その手前を左に進むと豊後橋、現在の観月橋へと達する。また奉行所横をまっすぐ東に進むと国道24号大和街道へと突き当たる。南へ向かえばやはり豊後橋。その手前を左に折れて六地蔵、醍醐を経由する旧奈良街道で山科の追分へと進む。
六地蔵
宇治川に架かる観月橋、この橋がこう呼ばれるようになったのは明治に入り戊辰戦争で焼け落ちた橋を架け替えてからの事という。それまでは豊後橋と呼ばれていた。なるほど、付近の町名は今も豊後橋町という。今ではその風流な名とは裏腹に二重に架けられた巨大な橋の上を自動車がひきも切らずに行き交っている。
さて、橋の手前を左折して府道7号外環状線に入る。京阪宇治線桃山南口駅手前で府道から別れ左に入って行く道がある。おそらく旧道の名残なのだろう。その道を進み右手から左へとカーブしてきた再び府道と交差するその手前に伏見六地蔵大善寺がある。
六地蔵界隈
直進して山科川に突き当たる。自動車は右手を迂回するが人が歩いて渡るための橋が旧道のルート上に架けられている.
橋を渡るとそこはいかにも旧道といった風情の細い道が緩やかに左へと曲がってゆく。しかしJR奈良線六地蔵駅が左手に見える位置までやってくるとその風景も一変して近代的な様相となる。JRと京阪線に挟まれたこの辺り、「JR六地蔵駅南口再開発」などと行いたくなるような立地ではある。

さて、ここからは旧奈良街道を進む。石田大山の交差点で日野道を横切るまでほぼ一直線、その先でわずかに左に曲がり合場川の橋の先で直進する新奈良街道から右に別れる。そのままみちなりに進むと醍醐寺の塀が右側に見えてくる。

醍醐寺
醍醐寺を過ぎ、先程分かれた新奈良街道を斜めに横切る。次に右側に見えるのは小野小町ゆかりの古刹随心院。随心院先の信号を一つ渡って最初の四つ角で墨染から勧修寺前を通ってきた道と合流する。
直進して山科へ向かう。
右に緩く曲がると先程、醍醐寺と随心院の間で横切った奈良街道に再び出会う。左折して名神高速道路方面へと進む。
名神高速道路の下を抜けた先に大宅一里塚が左側に残っている。一里塚を後にまっすぐ先へ進むと今度は東海道新幹線の高架橋、そのすぐ先に国道1号が走る。国道の下の地下道を通り先に進む。山科川を渡ると再び回り込んできた国道1号に。疾走する自動車の先に街道の続きが見えている。国道を渡り、坂を上がって行くと正面に音羽病院。病院前を右へ進んだ後、左に曲がってゆくと名神高速道路の京都東インターチェンジが見えてくる。高速道路の先、坂を上ってゆくと、
左京道 右大津道
もうすぐそこに山科の追分が待っている。