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| 復元された掛川城大手門。 近世城郭としての掛川城は豊臣政権下の1590年(天正18年)山内一豊が封じられた時に形づけられた。 山内家は関ヶ原の役後に土佐一国を与えられ掛川を去ることとなる。 |
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| 関東に移封した徳川氏の封じ込めの為に東海道筋に配置された豊臣恩顧の大名達。 そのほとんどが関ヶ原の役では徳川方に付いている。 時代の変わり目とはそんなものなのだろう。 この後、明治維新のおり土佐藩がなぜか目立つポジションにいたというのは、一豊以来の家風とでもいうのだろうか。 |
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| 掛川城天守は1994年(平成6年)に1854年(嘉永7年)大地震により損壊して以来140年の時を経て木造により復元された。 11億円の費用と4年の歳月がかかったのだという。 |
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天守の傍らに現存する二の丸御殿。 山内家が土佐に移った後、掛川は徳川譜代の諸侯が入れ替わり城主となるが1746年(延享三年)太田資俊が入封し、以後七代世襲して明治に至る。 この御殿はその太田氏時代のものという。 |
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